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「愛する」と「愛すべき」
2024.04.09
コラム
「北斗の拳」という漫画をご存じでしょうか?。
私の少年時代の大人気漫画です。
そこで出てくるキャラクター自体も有名で、ラオウ編があったり、サウザー編があったり、カイオウ編があったりと、大きな戦いのストーリーになっている漫画ですね。
今回は、その戦いのストーリーのお話ではなく、この漫画で出てくる純愛というか、恋愛というか、そんなストーリーの話です。
話は、主人公のケンシロウを想うリンという女性の話ですが、このリンという女性、心に想うケンシロウではなく、いつもリンを側で支えてくれたバットという男性に最後は添い遂げるという話です。
リンという女性は、最後間近に、想うケンシロウに添い遂げそうになるのですが、ケンシロウに最後こう言います。
「バットの側にいてあげたい。誰を愛すべきかを分かりました。」
「北斗の拳」では、前述のラオウやサウザーとの戦いをメインで覚えている方も多いと思います。ですが、50近くになった私は、妙にこのシーンが頭に出てくるようになりました。
一番心に思うケンシロウではなく、一番側で支えてくれたバットをリンが選んだというところです。
それも、ケンシロウに添い遂げるところまで来て・・・。
私も、正直、リンはバットを選んでもらいたかったので、結果的にはよかったです。
ですが、「愛する」というのと、「愛すべき」というのは、何となく違う。
本当のところ、一般女性は、どちらを選ぶのだろうって。
「愛すべき」という男性に添い遂げるということが、何となく作為的に見えて、本当の心の働きには従っていないという選択だったのではと思うのです。
重ねて言いますが、このストーリーでは、私は、結果論として、バットに添い遂げてくれてよかったと想います。
ですが、こういう選択をすることが、人間の本筋なのか、本当の幸せの選択なのか・・・という疑問も出てくる余地があるような気がします。
私も50近くになり、妻君もいますが、この「愛すべき」という想いも、恋愛の一つなのかなあと最近になって思いました。
私自身、恋愛を語るキャラクターではありませんが、「北斗の拳」という漫画は、こうやって議論ができる漫画として傑作な作品だと僭越ながら思います。
司法書士 今井 久雄
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